1. 大野道犬慰霊塔
  2. 元和の町割りと風間六右衛門

寺宝釈迦涅槃図

  1. 月蔵寺年表及び歴代年譜
  2. 月蔵寺霊園墓地分譲
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縁起と諸堂

開   創

 現在約九百坪の広大な寺域がある月蔵寺も、宗祖日蓮聖人の滅後二百十四年を経た明応四年(1495)の創建当時は、京都本山頂妙寺の末寺として堺北之庄桜之町北横町字燈籠之辻にあり、開山本光院日了上人の院号から本光坊と称したと伝わる。その約五十年後の天文十二年(1543)に現在地に移転、本山妙國寺開山佛心院日珖上人の父である豪商油屋伊達常言の寄進を受けて堂宇を建立し、妙國寺の中本寺として青陽山月蔵寺に改称した。記録では当初本好坊・寶塔坊の二院を有したと云うが両坊とも元禄年間に廃滅している。永禄七年(1564)二月には三光無師会の重鎮佛心院日珖が月蔵寺で授記品を講ずる等、学問所としても隆盛した。
 開創以来百二十年を経た慶長二十年(1615)四月二十八日、東西両軍の兵站基地であった堺は大阪夏の陣の余波を受け、豊臣方家臣の放った火により焦土と化した。政権を手にした徳川幕府は堺を直轄領とし、長崎奉行長谷川藤広に堺奉行を兼務させて荒廃した街並の復興に着手し、藤広の家臣風間六右衛門尉道喜が行った「元和の町割り」で月蔵寺は現在の寺域が配された。その後十八世紀中頃までに本堂・妙見堂・庫裏等が相次いで再建されて寺觀が整備され、後年の度重なる修復再建を経て現在に至り、平成二十一年(2009)で開創以来五百十五年を迎える。
 山号の「青陽」とは、五行説で春を青に配することから春の異称、特に早春を意味している。早春の境内に咲く梅や椿の花が盛りを過ぎると、冬木立は一斉に芽吹きを迎え、楠などの常緑樹が古い葉を落とす頃になると境内は瞬く間に新緑の世界に変わり、青陽山の名にふさわしい緑陰が訪れる人を迎えてくれる。