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寺宝釈迦涅槃図

  1. 月蔵寺年表及び歴代年譜
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題 目 碑

 本堂と妙見堂の間には巨大な題目碑があり、裏面に「題名壹千部 為無縁法界 法春比丘尼」と彫られている。京都の三木隨法師の資料によれば「今から三百年程前の江戸時代、貞享・元禄・安永・正徳の頃、京都には熱心な法華経信者である谷口一族がいた。その主たる人物は「京都町人八幡屋谷口長右衛門自栄」で、戒名が「妙信院法悦日随」であることまでは判明するが、それ以上の詳細は不明で宗門の歴史に一族の名前が一人として記録されていない。京都本山本圀寺の墓地にある無縁塔の最頂部に谷口法悦が寄進した石塔があり『若い頃から菩提心を起こして題目を唱え、法華経六万部を読んで心からの喜びを感じた。』という内容の碑文が残されている。この谷口一族は全国各地の法華寺院に題目碑を百余基、本尊の板曼荼羅を百十余り、涅槃図や釈迦誕生佛も数多く寄進しており、さらに京都から江戸に至る各地の刑場にも受刑者供養の為に題目碑を建立している。有名なものは東京品川区の鈴ヶ森刑場跡にある題目碑で、身延山の檀信徒研修道場前にも題目碑がある。」と云う。
法悦の父母の戒名は、それぞれ「実相院法入日中」・「貞林院法春日陽」であるが、月蔵寺の御本尊である板曼荼羅には法春の銘があり、元禄九年に奉納された「釈迦涅槃図」(後述)には法悦が父母の追善の為に施主となったことが記されていることから、この題目碑は母である法春比丘尼が月蔵寺に建立したものと考えられてきた。しかし堺市史第七巻に史跡として「御仕置場跡(刑場跡)」について記された項があり、「徳川時代には南北二箇所の刑場があり、南は紀州街道東湊辺り、北は現在の並松町風間寺の筋向い辺りである。刑死した大野道犬の追善の為に法春比丘尼が建てた題目碑は、明治後に刑場の取り払いの折に月蔵寺に移転した。」との記述があり、後述する大野道犬の供養塔や風間六右衛門の墓碑と共に、明治時代初頭に月蔵寺へ移転されたものかもしれない。