1. 大野道犬慰霊塔
  2. 元和の町割りと風間六右衛門

寺宝釈迦涅槃図

  1. 月蔵寺年表及び歴代年譜
  2. 月蔵寺霊園墓地分譲
  3. アクセス 
  4. リンク
  5. トップページに戻る

月蔵寺関係年表

緑字は月蔵寺関係、青字は宗教関係及び堺事件関係

明応4 1495 月蔵寺開創(頂妙寺の末寺で桜之町北横町字灯篭ヶ辻にあり本光坊と称す)宗祖滅後214年
天文1 1532 佛心院日珖堺に生れる(油屋常言の次男)
天文5 1536 天文法難(天文法華の乱)
天文12 1543 現在地に移転、油屋常言の寄進により堂于建立、青陽山月蔵寺と改称(本好坊・寶塔坊の支院有り)
種子島に鉄砲伝来
天文18 1549 St. Francis Xavier 鹿児島に上陸
天文19 1550 St. Francis Xavier 平戸・山口・京都・堺で布教(日比屋了慶の邸に入る)
弘治1 1555 日珖頂妙寺3世となる
永禄1 1558 日珖堺長源寺を再興する
永禄4 1561 1月13日開山本光院日了寂
Gaspar Vilela 堺で布教、了慶自邸を南蛮寺に提供
永禄5 1562 三好実休、和泉の地を日珖に寄進し寺院建立を嘆願、その後久米田の地で敗戦自害
永禄7 1564 2月佛心院日珖月蔵寺で授記品を講ず
ルイス・フロイス堺で布教
永禄8 1565 油屋常言寂
永禄9 1566 妙國寺起工
永禄11 1568 妙國寺竣工
元亀2 1571 妙國寺に学問所建つ。織田信長比叡山延暦寺を焼き討ち
天正5 1577 油屋常言第13回忌(第2世本瑞院日怡)
天正7 1579 安土宗論(日珖、織田信長の命により安土浄厳院で浄土宗と問答す)
天正10 1582 本能寺の変、織田信長自刃
徳川家康妙國寺に宿し、本能寺の変の報を聞き筒井庄右衛門(妻は日珖の妹)の策で伊賀越えす
天正11 1583 妙國寺伽藍完成
天正14 1586 9月16日高祖日蓮聖人像奉納(台座に銘あり)
天正15 1587 宣教師追放令(秀吉)
文禄3 1594 日珖千葉法華経寺を兼務
慶長3 1598 8月27日千葉法華経寺にて日珖寂67歳(法華経寺第12世)、弟子日通本法寺に遺骨を納む
豊臣秀吉没
慶長8 1603 徳川家康幕府を開く
慶長19 1614 1月家康正中山三山の輪番を定める、5月方広寺鐘銘事件、10月大阪冬の陣、
12月長谷川藤広堺奉行を兼務
元和1 1615 (慶長20)4月大阪夏の陣、5月7日豊臣方家臣大野治胤堺に火を放ち寺社民家二万戸が灰燼に帰す
6月27日大野治胤堺で私刑に処せられるも、六字名号の五輪塔を建立、後年?月蔵寺に改葬
6月18日より藤広堺復興に着手し、地割を風間六右衛門に命ず。10月26日藤広没。
元和2 1616 家康駿府城で没(4月17日)
元和4 1618 8月15日風間六右衛門江戸出府の途次、並松町付近で自刃(47歳)、不惜身命院殿道喜日妙大居士
元和8 1622 鬼子母神奉納(台座に銘あり)
寛永1 1624 スペインとの国交断絶
寛永16 1639 ポルトガル船の入港禁止、
寛永17 1640 宗門改役を置く(宗旨人別帳)
寛永18 1641 鎖国の完成(蘭・中国・朝鮮・琉球は除外)
慶安2 1649 大野主馬諸親類改帳(大野治房の潜伏に関する調書)
万治1 1659 妙國寺三重塔再建
寛文4 1664 キリスト教を禁制として寺請制度始まる
寛文5 1665 妙國寺書院再建、不受布施派禁制となる
天和1 1681 宗祖第400遠忌(第8世浄心院日這)
元禄8 1695 山門建立(過去帳)(第9世興善院日蓬)
元禄9 1696 月蔵寺に加納派画人作釈迦涅槃図奉納(第8世浄心院日這)
正徳2 1712 本堂再建(棟札及び過去帳)(第9世興善院日蓬)、妙見堂再建?
享保13 1728 月蔵寺祖師像開眼(本願人帯屋金右衛門、同妙春奉納)(第11世常寂院日実)
享保16 1731 宗祖450遠忌(第10世恵達院日要)
寛延2 1749 開山本光院日了上人像奉安(第200遠忌)上人像背面に銘
宝暦4 1754 庫裏再建(月蔵寺記録)(第15世成遠院日詮)
宝暦5 1755 月蔵寺過去帳新調(第15世成遠院日詮)、11月日蓮聖人像台座奉納
宝暦6 1756 大覺大僧正作・日像上人開眼高祖大菩薩奉納(第15世成遠院日詮)天正14年作(1586)
宝暦12 1762 鬼子母神御厨子奉納(第17世常智院日信)
安永5 1776 廣岡巴家の発起にて本堂再建、10月26日本堂棟上(棟札及び過去帳)、
廣岡巴氏身延山にて感得の妙見菩薩像を奉納(月蔵寺退廃の為)(第20世沾雨院日龍)
安永8 1779 本堂落成、妙見堂建立、北辰殿表門創建(第20世沾雨院日龍)(月蔵寺記録)
妙見堂建立主廣岡為次化成(福海院寿山日量信士(天保2年(1831)5月26日寂、72歳)
天明1 1781 本堂修復(棟札及び過去帳)
宗祖第500遠忌(第21世慈澄院日舟)
天明2 1782 天明の大飢饉
寛政4 1792 9月ロシアのAdam Erikovich Laxman 根室に来航
寛政5 1793 廣岡登茂衛成明位牌建立、(堺市史によれば妙見堂創建とあるが位牌建立の年と混同している)
妙見堂前石灯籠建立(世話人鍋屋長兵衛・河内屋治兵衛)(第23世全々院日正)
寛政9 1797 英国船室蘭に来航
寛政11 1799 妙見宮碑建立(第23世全々院日正)
文化1 1804 淨眼町中村利兵衛、父母菩提の為堺北之庄風間六右衛門石塔の畑地一反四畝五分を買い入れ、
月蔵寺に納める(第23世全々院日正)
大黒天奉納(庫裏)(享和4年2月、1804)
ロシア公使Nikolai Rezanov 長崎に来航、貿易要求
文化3 1806 妙見堂拡張再建(第24世広泉院日明)廣岡家一建立(月蔵寺記録)
薪水給与令
享和1 1801 享和元年版難波丸綱目に「北の端松林中に風間公の墓がある」記載あり(堺市史)
文化4 1807 檀中一統相談の上、上記奉納地を売却、修復に当てる(第24世広泉院日明)
文化5 1808 The Phaeton 長崎港に乱入(フェートン号事件)
文化6 1809 開山本光院日了第250遠忌予修(第24世広泉院日明)本堂畳替え
文化7 1810 妙見宮鳥居建立(第24世広泉院日明)
文化8 1811 井戸開鑿井戸屋形建造(第24世広泉院日明)
文政6 1823 Philipp Franz von Siebord 蘭人と偽って来日、出島で蘭学教育を行う
文政8 1825 異国船打払令
文政11 1828 シーボルト事件
天保3 1832 妙見宮拝殿前狛犬建造(第27世宣弘院日運)
天保5 1834 妙見宮拝殿前香炉建造(第27世宣弘院日運)
天保6 1835 8月舞台町宗善寺、月蔵寺に合併(了玄院日勇)
天保8 1837 The Morrison Incident
天保11 1840 アヘン戦争(南京条約)
天保13 1842 天保の薪水給与令
弘化1 1844 仏船琉球に来航、蘭国王日本に開国を勧告(翌年謝絶)
開山本光院日了上人御厨子奉納、施主山家屋新治郎(第29世瑞鳳院日輝)
弘化3 1846  10月18日「妙見大士縁起」著述、
第29世瑞鳳院日輝は中山法華経寺第102世本孝院日遵に師事し、法華経寺修築の際に旧院の柱より妙見大菩薩像を刻せしめ、日遵開眼の後に壱百日参籠読経の上、月蔵寺に奉安
妙見堂再築(堺市史)
嘉永1 1848 墓地中央に舎利塔建立(第29世瑞鳳院日輝)
嘉永3 1850 3月31日表門再建発起人巴源兵衛喜始(令得院浄眼日明玄真)寂、76歳、
廣岡登茂衛成明(位牌建立主)の父
嘉永5 1852 7月、二代目中村富十郎の発願で妙見大菩薩御厨子奉納
嘉永6 1853 6月Commodore Matthew Perry 浦賀に来航
嘉永7 1854 1月Commodore Matthew Perry 再び来航、3月日米和親条約締結
安政3 1856 アロー号事件
安政5 1858 日米修好通商条約、安政五カ国条約(米・英・仏・露・蘭)
安政の大獄
安政6 1859 開山本光院日了第350遠忌(第31世正本院日禅予修)
万延1 1860 6月桜田門外の変、
    12月Townsend Harris通訳Henry Conrad Joannes Heusken斬殺(弔慰金1万ドルで落着)
文久1 1861 5月水戸藩士英公使館東禅寺にRutherford Alcockを襲撃(賠償金1万ドルで落着)
文久2 1862 5月東禅寺警備の松本藩士が英水兵二名を斬殺(賠償金4万ドル)
    8月生麦事件、薩摩藩の大名行列に4人の騎馬英人が無礼、英代理公使Edward St. John Nealeが交渉(賠償金40万ドル)
文久3 1863 3月攘夷実行の勅命
5月
7月薩摩藩への賠償要求を巡って薩英戦争
明治8 1875 宗祖第600遠忌奉修(第32世本瑞院日應)
明治42 1909 庫裏改築(第35世文應院日賢代)
昭和6 1931 宗祖第600遠忌、本堂庫裏大改築、佛具新調(第38世慈政院日邦代)

月蔵寺歴代年譜

御開山 本光院日了上人   明応4(1495)月蔵寺開創 永禄 4(1561) 1月13日寂
天文12(1543) 現在地に移転、油屋常言の寄進により堂于建立、青陽山月蔵寺と改称(本好坊・寶塔坊の支院有り)
第2世 本瑞院日怡(ニチイ) 元亀 3(1572) 5月13日寂
天正5(1577)油屋常言第13回忌奉修
第3世 栴林院日諝(ニッショ) 天正20(1592) 2月14日寂 54歳
三光勝会の英才(俊秀)、一如重師と同学
第4世 智積院日惟(ニチイ) 寛永18(1641)11月27日寂 94歳
(慶長20年4月大阪夏の陣、元和と改元)
鬼子母神像奉納(元和8(1622)5月)
第5世 法林院日晴 寛文 7(1667) 8月18日寂 72歳
第6世 智積院日恵 万治 3(1660)11月12日寂
第7世 慈性院日報 寛文 9(1669)12月10日寂
第8世 浄心院日這(ニチゲン) 宝永 4(1707) 9月22日寂 81歳
宗祖第400遠忌(天和1、1681)、元禄9年(1696)5月釈迦涅槃図奉納(加納派画人作)
第9世 興善院日蓬 享保 2(1717) 3月 4日寂 58歳
正徳2年(1712)本堂再建、元禄8年(1695)山門建立(棟札及び過去帳)、妙見堂再建?
第10世 恵達院日要 8月16日寂
宗祖450遠忌(享保16、1731)
第11世 常寂院日実 元文 4(1739)11月 6日寂 50歳
月蔵寺祖師像開眼(本願人帯屋金右衛門、同妙春奉納)(享保13、1728)
第12世 本明院日光      元文5(1740)入寺 寛保 3(1743)寂
第13世 慈成院日見()  天明 5(1785) 6月13日寂
大阪雲雷寺第10世、山科玄能
開山第200遠忌本光院日了上人像奉安(寛延2(1749)9月13日)
第14世 本是院日真 寛延3(1750) 9月21日入寺  
第15世 成遠院日詮 宝暦3(1753) 4月19日入寺 宝暦 7(1757)7月13日寂
庫裏再建(月蔵寺記録)(宝暦4、1754) 山科玄能
大覺大僧正作・日像上人開眼高祖大菩薩台座奉納(宝暦6(1756)9月13日)天正14年作(1586)
第16世 東光院日長 宝暦7(1757)12月 1日入寺  
第17世 常智院日信 宝暦9(1759)10月22日入寺  
鬼子母神御厨子奉納(宝暦12(1762)9月)
第18世 誠明院日現 明和2(1765)12月4日入寺 明和 4(1767) 3月 4日寂
第19世 円戒院日禅 明和5(1768)11月18日入山       明和 8(1771)寂
(聖道院日勇・精道院とも)  
第20世 沾雨院日龍 明和8(1771)4月11日入寺 天明 1(1781) 9月28日寂
廣岡巴家の発起にて本堂棟上げ(棟札及び過去帳)、(安永5年11月26日、1776)
廣岡巴氏身延山にて感得の妙見菩薩像を奉納(安永5年)(月蔵寺退廃の為
本堂落成、妙見堂建立、北辰殿表門創建(安永8年、1779)(月蔵寺記録)
本堂修復(棟札及び過去帳)(天明1、1781)
松ヶ崎檀林玄講
第21世 慈澄院日舟 天明1(1781)12月23日入寺       天明 7(1787)寂
宗祖第500遠忌奉修
第22世 慶寿院日亨 天明7(1787)12月24日入寺       寛政 8(1796)寂
妙見堂創建(寛政5、1793)(堺市史)、妙見堂前石灯籠建立(寛政5、1793)
第23世 全々院日正 寛政8(1796)12月18日入寺 文化 2(1805)12月27日寂 43歳
妙見宮碑建立(寛政11、1799)
淨眼町中村利兵衛、父母菩提の為堺北之庄風間六右衛門石塔の畑地一反四畝五分を買い入れ、
月蔵寺に納める(文化1、1804)
大黒天奉納(庫裏)享和4年2月、1804
第24世 広泉院日明 文化3(1806)4月8日入寺 天保 3(1832)12月25日寂
庫裏大破の為、文化3年(1806)8月28日棟上、妙見堂拡張再建、妙見宮開門
文化4年(1807)7月檀中一統相談の上、上記奉納地を売却、修復に当てる
文化6年(1809)8月13日開山本光院日了第250遠忌予修、本堂畳替え
文化7年(1810)妙見宮鳥居建立、文化8年(1811)9月井戸屋形建造
享和2年(1802)より5年間本行寺住職
第25世 体(體)持院日進 文政 6(1823)寂
第26世 心王院日元 文政6(1823)10月6日入寺 天保12(1841) 3月 3日寂
巴源兵衛の発願にて山門を建立(銀35匁)文政年間(1818~1830)
表門再建発起人巴源兵衛(嘉永三年(1850)3月31日寂)
東山檀林玄講第160世
第27世 宣弘院日運 天保3(1832)8月15日入寺 日輝の代まで居住
(開本院とも)東山檀林玄講  
妙見宮拝殿前狛犬建造(天保3、1832)
妙見宮拝殿前香炉建造(天保5、1834)
第28世 了玄院日勇 天保6(1835)2月23日入寺  
(慈遠院とも)字慈遠  
天保6年(1835)8月舞台町妙照山宗善寺合併
(開山世應院日俊 妙國寺第8世、正中山法華経寺第30世、富蔵感應寺開山)
第29世 瑞鳳院日輝 天保14(1843)7月22日入寺32歳 明治 5(1872) 4月24日寂 61歳
開山本光院日了上人御厨子奉納(施主山家屋新治郎)(弘化1(1844)3月)
墓地中央に舎利塔建立(嘉永1(1848)4月8日)
中山法華経寺第102世本孝院日遵に師事し、法華経寺修築の際に旧院の柱より妙見大菩薩像を刻せしめ、日遵開眼の後に壱百日参籠読経の上、月蔵寺に奉安(廣岡氏)
二代目中村富十郎の発願で妙見大菩薩御厨子奉納(嘉永5(1852)7月、)
大本山本圀寺第44世、(第49世浜井日成の師範)、東山檀林玄講680世、嘉永6年宗柏寺に転住
第30世 瑞蓮院日生 嘉永6(1853)2月24日入寺 安政 2(1855)9月退山
字麗孝 日輝の弟子 東山檀林玄講  
第31世 正本院日禅 安政3(1856)3月25日入寺 明治 9(1876) 8月 6日寂
開山本光院日了第350遠忌奉修(安政6、1859) 東山檀林玄文両講 、明治3年(1870)退寺
明治3年6月20日福岡大通寺26世、明治5年2月26日博多法性寺29世入寺(桐山氏)
第32世 本瑞院日應 明治3(1870)3月23日入寺 明治33(1900)10月22日寂
板倉日應(慶応2年(1866)本法寺塔中)  
宗祖第600遠忌奉修(明治8(1875)5月25~26日)
明治13年京都鳥辺山本寿寺転住の為退山、
第33世 瑞遠院日成 明治13(1880)6月入寺 昭和 3(1928) 3月13日寂 74歳
浜井日成麗心 明治15(1882)長久寺転住、明治26年(1893)九州大村本教寺転住、 大正3年(1914)8月京都大本山本圀寺49世に晋董、大正6年(1917)明徳学園開校、 大正十年(1921)日蓮宗布教院開設、
第34世 本光院日瑞 明治15年(1882)11月入寺 大正 6(1917) 3月26日寂 59歳
板倉亮妙(板倉日應の資)明治33年(1900)大阪正覚寺転住、
第35世 文應院日賢 明治35年(1902)12月21日入寺 大正12(1923)12月26日寂 86歳
森岡文学(浜井日成の弟子)  
明治45年(1912)庫裏改築(荒木安太郎棟札)、大正9年(1920)7月31日退住
第36世 観達院日瑞 大正9年(1920)入寺、 昭和43(1968) 4月13日寂
阪田潮光、大正10年(1921)退住、能勢妙華寺入寺
第37世 円妙院日観 大正10年(1921)12月20日入山、 昭和47(1972) 4月21日寂 76歳
野村恵澄、大正15年(1926)12月20日本成寺へ転住  
妙見宮修理、境内整備
第38世 慈政院日邦 大正15年(1926)10月10日入寺 昭和22(1947) 4月16日寂 62歳
明治30年(1897)伊藤日修に就いて得度、明治42年(1909)京都教行院入寺、
大正2年(1913)能勢蓮華寺入寺、本堂庫裏新築、中興開山となる
大正15年(1926)10月10日月蔵寺入寺、昭和6年(1931)宗祖第650遠忌奉修、本堂庫裏大改修、
佛具新調、昭和10年(1935)
10月1日大聖人銅像建立・蘇鉄山造営・梵鐘鋳造(荒木市松・徳松・安太郎)、梵鐘は大戦で供出
昭和12年(1937)墓地に無縁塔造立、昭和20年(1945)2月6日退住
第39世 慈忠院日孝 加歴 昭和13(1938)10月30日戦死 26歳
第40世 慈雲院日龍 昭和20(1945)2月6日入寺 平成19(2007) 6月 2日寂
昭和23年(1948)開運妙見講結成、昭和25年(1949)ジェーン台風により大損害、
昭和27年開宗700年奉修
昭和55年宗務副総長
昭和57年京都本山本法寺第68世に晋董
昭和62年本法寺開山久遠成院日親上人第500遠忌
平成13年本法寺退山
第41世 慈寛院日應 昭和57年  
第42世 慈照院日寛  

ページトップに戻る