CONTENTS
- 本堂
- 創建当時の月蔵寺諸堂の概要は残念ながら江戸期以前の資料が焼失している為に不明であるが、過去帳によれば、現在の本堂は大阪夏の陣で焼失した後、約百年を経た正徳二年(1712)に第九世興善院日蓬が再建したもので、その後第二十世沾雨院日龍が安永五年(1776)と天明元年(1781)に修復し、近代に入って昭和六年(1931)に第三十八世慈政院日邦が現存の佛具新調等を含めて大改修を行い、平成六年の開創五百年記念事業での修復を経て現在に至っている。『堺市歴史的建造物報告書』によれば、堂内四天柱後列の丸柱や来迎柱間の虹梁型頭貫、及び側柱は創建当時の柱が再建の時にそのまま使われ現在に至っていると報告している。
- 山門
- 夏の陣の余波で焼失する以前の山門の概要については、資料が焼失している為に不明であるが、第十五世成遠院日詮の代、宝暦五年(1755)に新調された月蔵寺の過去帳に、第九世興善院日蓬が元禄八年(1695)に山門を建立した記録がある。現在の山門は堺市教育委員会発行の『堺市歴史的建造物報告書』によれば、本柱の後方に控柱二本を建てて切妻屋根をかけた薬医門で大型のものに属し、第二十六世心王院日元の代、嘉永三年(1850)に当時の御殿医であった廣岡氏・巴氏の寄進で再建された江戸末期を代表する遺構とされている。