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春季彼岸法要(お彼岸のいわれと心構え)

 

三月春分の日 午後一時 受付
午後二時 お彼岸法要
午後三時 お斎

 

佛教の行事の大部分は、インド・中国から伝わってきたものですが、春と秋の彼岸会だけは、我が国独特の朝廷の佛教行事として一千余年前に始まり、江戸時代には宗派を超えて民衆の間に広まって現代に伝えられてきたものです。

  国民の祝日の中で、佛教的な風習から残された祝日が二つあります。春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」であり、秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」です。春の彼岸の頃は、厳しかった寒さも緩み、各地からの芽吹きの便りに新緑と花のあふれる季節の到来を感じ、春の日ざしは朗らかな希望を与えてくれます。秋の彼岸の頃は、夏の盛りを過ぎて紅葉と実りの秋の訪れを思い、落ち着いた心境に誘われます。農耕を主とした我が国で農繁期を避け、一年のうちのこの季節に、特に定めて佛事を修する「お彼岸」という言葉には、日本人の持つ季節感から育まれた「温かさ」と、私たちの祖先の深い知恵と思いやりがあるような気がします。

  日蓮聖人は、『彼岸抄』という御遺文の中で述べられています。

「それ彼岸とは春秋の時節の七日、信男信女ありて、もし彼の衆善を修して小行をつとむれば、生死の此岸より苦界の蒼波をしのぎ、菩提の彼岸に至る時節なり。故にこの七日を彼岸となづく。この七日のうちに一善の小行を修せば、必ず佛果菩提を得べし。余の時節に日月を運び功労を尽くすよりは、彼岸一日の小善は、よく大菩提に至るなり。誰人かこの時節を知りて小善を修せざらん。」

(昭和定本 2146頁)

 お彼岸の一週間は、自然の恵みに感謝し、生きとし生けるものを慈しむ心を養い、更に先祖を敬い亡き人に供養をささげるともに、自ら心を起こして佛道の修行に勤めるよう心がけることです。
 佛教(涅槃経)では、私たちの苦楽に迷う生死の世界を(此岸)とし、怒り・貪り等の煩悩を滔々と流れる大河に譬え、涅槃寂静の悟りの世界を(彼岸)と定めています。此岸より、煩悩の川を越えて、彼岸に渡る為に『到彼岸(波羅蜜多)』という『菩薩道』を積むのです。到彼岸の思想やその修行は、特に春分・秋分に関わるものではありませんが、先人の智恵から、お中日の前後六日間は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵の六つの人生の心構え(六波羅蜜)を実践する修行期間とされています。悩みや苦しみの多い此岸という毎日の生活の中で、自分も菩薩の一人として生きてゆく第一歩を自覚する日です。
 日蓮聖人は、悩みを離れて悟りは無いように、彼岸は遠いかなたにあるのではなく、菩提の種(悟りを求める心)は、日々揺れ動く自分の中にあると説かれています。春蒔きであれ、秋蒔きであれ、自分で自分を育てる為に蒔くことです。一人の人間が、当たり前の人生を歩んでいるけれど、一本の道を進みながら、小さな出来ることから始めて、いつしか心が洗われて、彼岸への一歩を踏み出している。みんながそうなればいいなと思います。
 先祖を想い、亡くなった人を偲び、併せて無縁の墓にもお題目を唱え、一把の花、一杯の水、一本の線香を捧げる気持ちのもたらす味わいこそ、到彼岸の第一歩だと思います。

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