月蔵寺月蔵寺

月蔵寺について 月蔵寺について

月蔵寺年表

月蔵寺年表

御開山
本光院日了上人
明応4(1495)月蔵寺開創
永禄 4(1561) 1月13日寂

天文12(1543) 現在地に移転、油屋常言の寄進により堂于建立、青陽山月蔵寺と改称(本好坊・寶塔坊の支院有り)

第2世
本瑞院日怡(ニチイ)
元亀 3(1572) 5月13日寂

天正5(1577)油屋常言第13回忌奉修

第3世
栴林院日諝(ニッショ)
天正20(1592) 2月14日寂 54歳

三光勝会の英才(俊秀)、一如重師と同学

第4世
智積院日惟(ニチイ)
寛永18(1641)11月27日寂 94歳

(慶長20年4月大阪夏の陣、元和と改元) 鬼子母神像奉納(元和8(1622)5月)

第5世
法林院日晴
寛文 7(1667) 8月18日寂 72歳
第6世
智積院日恵
万治 3(1660)11月12日寂
第7世
慈性院日報
寛文 9(1669)12月10日寂
第8世
浄心院日這(ニチゲン)
宝永 4(1707) 9月22日寂 81歳

宗祖第400遠忌(天和1、1681)、元禄9年(1696)5月釈迦涅槃図奉納(加納派画人作)

第9世
興善院日蓬
享保 2(1717) 3月 4日寂 58歳

正徳2年(1712)本堂再建、元禄8年(1695)山門建立(棟札及び過去帳)、妙見堂再建

第10世
恵達院日要
8月16日寂

宗祖450遠忌(享保16、1731)

第11世
常寂院日実
元文 4(1739)11月 6日寂 50歳

月蔵寺祖師像開眼(本願人帯屋金右衛門、同妙春奉納)(享保13、1728)

第12世
本明院日光
元文5(1740)入寺
寛保 3(1743)寂
第13世
慈成院日見
天明 5(1785) 6月13日寂

大阪雲雷寺第10世、山科玄能
開山第200遠忌本光院日了上人像奉安(寛延2(1749)9月13日)

第14世
本是院日真
寛延3(1750) 9月21日入寺
第15世
成遠院日詮
宝暦3(1753) 4月19日入寺
宝暦 7(1757)7月13日寂

庫裏再建(月蔵寺記録)(宝暦4、1754) 山科玄能 大覺大僧正作・日像上人開眼高祖大菩薩台座奉納(宝暦6(1756)9月13日)天正14年作(1586)

第16世
東光院日長
宝暦7(1757)12月 1日入寺
第17世
常智院日信
宝暦9(1759)10月22日入寺

鬼子母神御厨子奉納(宝暦12(1762)9月)

第18世
誠明院日現
明和2(1765)12月4日入寺
明和 4(1767) 3月 4日寂
第19世
円戒院日禅
明和5(1768)11月18日入山
明和 8(1771)寂

(聖道院日勇・精道院とも)

第20世
沾雨院日龍
明和8(1771)4月11日入寺
天明 1(1781) 9月28日寂

廣岡巴家の発起にて本堂棟上げ(棟札及び過去帳)、(安永5年11月26日、1776) 廣岡巴氏身延山にて感得の妙見菩薩像を奉納(安永5年)(月蔵寺退廃の為) 本堂落成、妙見堂建立、北辰殿表門創建(安永8年、1779)(月蔵寺記録) 本堂修復(棟札及び過去帳)(天明1、1781) 松ヶ崎檀林玄講

第21世
慈澄院日舟
天明1(1781)12月23日入寺
天明 7(1787)寂

宗祖第500遠忌奉修

第22世
慶寿院日亨
天明7(1787)12月24日入寺
寛政 8(1796)寂

妙見堂創建(寛政5、1793)(堺市史)、妙見堂前石灯籠建立(寛政5、1793)

第23世
全々院日正
寛政8(1796)12月18日入寺
文化 2(1805)12月27日寂 43歳

妙見宮碑建立(寛政11、1799) 淨眼町中村利兵衛、父母菩提の為堺北之庄風間六右衛門石塔の畑地一反四畝五分を買い入れ、 月蔵寺に納める(文化1、1804) 大黒天奉納(庫裏)享和4年2月、1804

第24世
広泉院日明
文化3(1806)4月8日入寺
天保 3(1832)12月25日寂

庫裏大破の為、文化3年(1806)8月28日棟上、妙見堂拡張再建、妙見宮開門 文化4年(1807)7月檀中一統相談の上、上記奉納地を売却、修復に当てる 文化6年(1809)8月13日開山本光院日了第250遠忌予修、本堂畳替え 文化7年(1810)妙見宮鳥居建立、文化8年(1811)9月井戸屋形建造 享和2年(1802)より5年間本行寺住職

第25世
体(體)持院日進
文政 6(1823)寂
第26世
心王院日元
文政6(1823)10月6日入寺
天保12(1841) 3月 3日寂

巴源兵衛の発願にて山門を建立(銀35匁)文政年間(1818~1830) 表門再建発起人巴源兵衛(嘉永三年(1850)3月31日寂)
東山檀林玄講第160世

第27世
宣弘院日運
天保3(1832)8月15日入寺
日輝の代まで居住

(開本院とも)東山檀林玄講
妙見宮拝殿前狛犬建造(天保3、1832) 妙見宮拝殿前香炉建造(天保5、1834

第28世
了玄院日勇
天保6(1835)2月23日入寺

(慈遠院とも)字慈遠
天保6年(1835)8月舞台町妙照山宗善寺合併 (開山世應院日俊 妙國寺第8世、正中山法華経寺第30世、富蔵感應寺開山)

第29世
瑞鳳院日輝
天保14(1843)7月22日入寺32歳
明治 5(1872) 4月24日寂 61歳

開山本光院日了上人御厨子奉納(施主山家屋新治郎)(弘化1(1844)3月) 墓地中央に舎利塔建立(嘉永1(1848)4月8日) 中山法華経寺第102世本孝院日遵に師事し、法華経寺修築の際に旧院の柱より妙見大菩薩像を刻せしめ、日遵開眼の後に壱百日参籠読経の上、月蔵寺に奉安(廣岡氏) 二代目中村富十郎の発願で妙見大菩薩御厨子奉納(嘉永5(1852)7月、) 大本山本圀寺第44世、(第49世浜井日成の師範)、東山檀林玄講680世、嘉永6年宗柏寺に転住

第30世
瑞蓮院日生
嘉永6(1853)2月24日入寺
安政 2(1855)9月退山

東山檀林玄講

第31世
正本院日禅
安政3(1856)3月25日入寺
明治 9(1876) 8月 6日寂

開山本光院日了第350遠忌奉修(安政6、1859) 東山檀林玄文両講、明治3年(1870)退寺 明治3年6月20日福岡大通寺26世、明治5年2月26日博多法性寺29世入寺(桐山氏)

第32世
本瑞院日應
明治3(1870)3月23日入寺
明治33(1900)10月22日寂

板倉日應(慶応2年(1866)本法寺塔中)
宗祖第600遠忌奉修(明治8(1875)5月25~26日) 明治13年京都鳥辺山本寿寺転住の為退山、

第33世
瑞遠院日成
明治13(1880)6月入寺
昭和 3(1928) 3月13日寂 74歳

浜井日成麗心 明治15(1882)長久寺転住、明治26年(1893)九州大村本教寺転住、 大正3年(1914)8月京都大本山本圀寺49世に晋董、大正6年(1917)明徳学園開校、 大正十年(1921)日蓮宗布教院開設、

第34世
本光院日瑞
明治15年(1882)11月入寺
大正 6(1917) 3月26日寂 59歳

板倉亮妙(板倉日應の資)明治33年(1900)大阪正覚寺転住、

第35世
文應院日賢
明治35年(1902)12月21日入寺
大正12(1923)12月26日寂 86歳

森岡文学(浜井日成の弟子)
明治45年(1912)庫裏改築(荒木安太郎棟札)、大正9年(1920)7月31日退住

第36世
観達院日瑞
大正9年(1920)入寺
昭和43(1968) 4月13日寂

阪田潮光、大正10年(1921)退住、能勢妙華寺入寺

第37世
円妙院日観
大正10年(1921)12月20日入山
昭和47(1972) 4月21日寂 76歳

野村恵澄、大正15年(1926)12月20日本成寺へ転住
妙見宮修理、境内整備

第38世
慈政院日邦
大正15年(1926)10月10日入寺
昭和22(1947) 4月16日寂 62歳

明治30年(1897)伊藤日修に就いて得度、明治42年(1909)京都教行院入寺、 大正2年(1913)能勢蓮華寺入寺、本堂庫裏新築、中興開山となる 大正15年(1926)10月10日月蔵寺入寺、昭和6年(1931)宗祖第650遠忌奉修、本堂庫裏大改修、 佛具新調、昭和10年(1935) 10月1日大聖人銅像建立・蘇鉄山造営・梵鐘鋳造(荒木市松・徳松・安太郎)、梵鐘は大戦で供出 昭和12年(1937)墓地に無縁塔造立、昭和20年(1945)2月6日退住

第39世
慈忠院日孝
加歴 昭和13(1938)10月30日戦死 26歳
第40世
慈雲院日龍
昭和20(1945)2月6日入寺
平成19(2007) 6月 2日寂

昭和23年(1948)開運妙見講結成、昭和25年(1949)ジェーン台風により大損害、 昭和27年開宗700年奉修 昭和55年宗務副総長 昭和57年京都本山本法寺第68世に晋董 昭和62年本法寺開山久遠成院日親上人第500遠忌 平成13年本法寺退山

第41世
慈寛院日應
昭和57年
第42世
慈照院日寛